生活の中のことば

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生活の中のことば 91~100話

第91話 浮世(うきよ)

 この世のこと。たよりになるものがなく、はかないところなので「浮世」といいます。仏教では、つらくて苦しい世間を「憂世」といいます。だから一般的には、この両方の意味を持って使われています。

―ひとくち法話No91より―

第92話 歓喜(かんぎ)

 親鸞聖人は「歓は身のよろこび、喜は心のよろこびで、往生が確かであることが知れた時のこのうえないよろこびをいう」と説明されました。一般には「かんき」と読み、おおよろこびするさまをいいます。

―ひとくち法話No92より―

第93話 看病(かんびょう)

 病人を介抱することで、仏教からきている言葉です。『大言海』に「僧が説法して病者を癒すこと」とあります。現代でいえば、患者の不安や苦痛を精神面からやわらげていこうとしているホスピスのこころでしょう。

―ひとくち法話No93より―

第94話 専修(せんじゅ)

 一般的には「せんしゅう」と読んで「そのことばかり勉強すること」をいいます。真宗では阿弥陀仏のみ名を称えることを「せんじゅ」といい、その意味で、私たち本山の寺号も「せんじゅじ(専修寺)」といいます。正しく申しましょう。

―ひとくち法話No94より―

第95話 餓鬼(がき)

 欲の深いものが死後におちるところ。ここに落ちた亡者は、常に飢(う)え、渇(かわ)き、苦しみ悩むといいます。

―ひとくち法話No95より―

第96話 講堂(こうどう)

 誰もが思い出すのは、入学式や卒業式を行う学校の講堂でしょう。この建物は、もとお寺の建物の一つで、仏教を学ぶお堂のことでした。高田本山には、現在も立派な講堂があって、報恩講にはお説教を聴聞するところとなっています。

―ひとくち法話No96―

第97話 聴聞(ちょうもん)

 聴も聞もともに「きく」ことですが、聴は体できき、聞は耳できくことともいわれます。「仏法聴聞(ぶっぽうちょうもん)」と熟語となっているので、仏法は全身で「きく」心構えこそ肝要であります。

―ひとくち法話No97より―

第98話 行者(ぎょうじゃ)

 仏道を修行する者。一般の印象としては、一定の行装(ぎょうそう)をして、名山や霊蹟(れいせき)を巡拝する人々の総称です。私たちの真宗では、お念仏を申すお同行を「念仏行者(ねんぶつぎょうじゃ)」といっています。

―ひとくち法話No98より―

第99話 清浄(しょうじょう)

 少しもけがれなく、清らかなこと。一般仏教では、煩悩(ぼんのう)や罪のないことを言う。真宗では、ほとけさまのお心をあらわす言葉となっています。

―ひとくち法話No99より―

第100話 一味(いちみ)

 仏教で、仏が説くことは、時、所、相手によって違いはあっても、その仏の願いは同じという意味です。同じ仲間、同じところ、同じ味。

―ひとくち法話No100より―