本寺・別院のご紹介
ANNEX

本寺専修寺

本寺専修寺

〒321-4511 栃木県真岡市高田1482
親鸞聖人が関東各地を御教化中に明星天子の夢のお告げを得て、54歳のとき建立された専修念仏の根本道場です。ここを中心とした教団は関東各地の檀信徒の中で最も有力なものとなり、その後高田教団と呼ばれ全国的に崇敬を集めました。兵火により炎上し歴代上人が一身田へと移られたことで、こちらの専修寺を本寺、一身田の専修寺を本山と呼ぶようになりました。
京都別院

京都別院

京都府京都市右京区鳴滝音戸山町11-34
宗祖聖人が、甞て二条冷泉冨小路、或は二条の辺に寓居せられた事を追慕して、高田派第11世応真上人が、天文年中に一宇を建立し、柳原坊としました。其後火災に罹り、堯恵上人が、慶長10年に、間之町押小路高田町に一宇を再建して、高田坊と改められました。当初の建物は、豊公北の政所の化粧殿を移して本堂とし、本尊は宇治の恵心院に在った恵心僧都作の阿弥陀如来座像を以て御本尊としました。
名古屋別院

名古屋別院

愛知県名古屋市西区那古野1丁目20-5
替地町西側に在り。境内516坪75、徳川時代年貢1反77、三重県一身田町専修寺別院なり。元臨光山信行院と号し、皆戸町に在り。正保4年専称院義起玄怒(元禄5年5月寂)紀元2309年の創建なり、明暦3年今の地に移す」とあります。
神戸別院

神戸別院

三重県鈴鹿市神戸2丁目3-41
高田派本山の北勢に於ける、布教宣布の拠点として、堯円上人の御代に建立されました。寛政2年春本堂建立にかかり、同年11月28日上棟、寛政5年4月2日、遷仏法要が営まれ、「准御坊・掛所」とも称せられた事もありましたが「神戸の御坊さん」と称して門信徒の間に親しまれました。
北海道別院

北海道別院

北海道札幌市清田区平岡3条3丁目
明治25年春、福井県鮎川願生寺住職、出見法泉が、縁故の信徒をたどって当区に立錫し、南二条東四丁目に山崎孝太郎より土地を賃借して説教場の創設を企て、開教の事情を本山に建議しました。翌26年本山は服部亮厳を札幌教務所主任として派遣し、ここに専修寺札幌別院の基礎が定まりました。
福井別院

福井別院

福井県福井市花堂南2丁目10-35
正保2年、玄忠開基、第16世堯円大僧正の長男、梅溪院堯光大童子の位牌地と定め、この地に一宇を建立し、梅溪寺と号する事となりました。明治37年福井県の許可を得て、一身田より宝永水町に移転し、これよりさき明治5年に、高田派本山にあっては、本市館町に事務出張所を設し、これは江戸時代解説の高田総絵所を改名することとなりました。
関東別院

関東別院

東京都大田区西六郷4丁目22-12
文政年間第18世円遵上人御在世時代、江戸神田練屏町に創設されました。当時は、「門跡寺」と尊称され、格式の高い寺院として、江戸町内に知られ、常在説教にも参詣者多く、常にお堂に満ちていたといわれております。報恩講、又17年目の「一光三尊仏御開帳」には参詣者列をなし、練屏さんの名で知らぬ者はなかったといわれております。当時の落語の外題「宗論」でも有名な別院でもあります。
関東別院 千葉分院

関東別院 千葉分院

千葉県千葉市若葉区大草町726-1
横浜別院に次いで関東では二番目の枝院であり、千葉県では初めての高田派の寺院として、平成24年2月に開院しました。ゆとりある敷地を有し、自然との調和を考え、安らぎの環境を提供する、これからの新しい高田派寺院の姿をもっています。関東別院、横浜別院とも連携した関東東部の拠点となる分院です。
横浜別院 乗願寺

横浜別院 乗願寺

神奈川県横浜市港南区港南6丁目10-24
慶長2年(1597)3月7日、武田玄了が起立した寺院です。武田玄了は甲斐の武田勝頼の舎弟で武田宋女正玄了と称しましたが、京都の本願寺第12世大僧正准如上人に帰依し、釋玄了法師と号して、久良岐郡松本村に一宇を建立したのが、当時の発祥だといわれています。当初は西本願寺に帰属し、その後高田派に付属しました。
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