生活の中のことば

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生活の中のことば 61~70話

第61話 悲願(ひがん)

 W杯予選で日本が勝ったとき、新聞の見出しが『悲願の1勝』でした。是非ともという心の底からの悲壮な望みで、この言葉は仏教から出たものです。阿弥陀如来さまが私たちを必ず救うと誓われたほとけの心をいいます。

―ひとくち法話No61より―

第62話 迷惑(めいわく)

 人にいやな思いをしたり、させたりすること。仏教では、道理に暗く、はっきりしないので心が迷うことをいいます。

―ひとくち法話No62より―

第63話 精進(しょうじん)

 もとは仏門に入って心身を清める意味でしたが、後には「精進料理」といって、魚・鳥・獣等の肉を食べないことをも含めて言うようになりました。一般には、物事に努めて励むことをいいます。

―ひとくち法話No63より―

第64話 道場(どうじょう)

 武芸を練習するところ、仏道を修行する場所を道場といっています。だから、私たち真宗でいえば、お同行が集まってお念仏の教えを聞法するところ。つまり寺院そのものが道場なのです。

―ひとくち法話No64より―

第65話 世間(せけん)

 この世、社会のこと。仏教はこの世を迷いの世界と捉えて、世間といい、悟りの世界を出世間(しゅっせけん)といって区別しています。

―ひとくち法話No65より―

第66話 本願(ほんがん)

 一般には、ずっと思い続けてきた本来の願いのこと。宿願の意味です。真宗では、私たちを浄土に救おうと誓われた阿弥陀仏の根本の願いを本願といいます。

―ひとくち法話No66より―

第67話 門徒(もんと)

 「宗門を同じくする信徒」の意味ですが、特に真宗の信者を総称して言います。真宗の信者は世俗のことにはこだわらず、ただひたすらにお念仏をもうすばかりです。

―ひとくち法話No67―

第68話 無常(むじょう)

 あらゆるものは生滅・流転して変ってゆくこと。人が亡くなり、葬儀の場に出ると必ずこの言葉が挨拶がわりに使われて、世のはかなさを教えてくれます。

―ひとくち法話No68より―

第69話 愚痴(ぐち)

 人間の根本的な愚かさ。思ってはならぬことを思って、我が身をよしとするはずかしいこころをいいます。

―ひとくち法話No69より―

第70話 末法(まっぽう)

 仏教の歴史観で、釈迦入滅後1500年のちの1万年を末法時代といい、仏教が伝わらない時代と教えています。だから、末法は、道徳がすたれ、世も末であるという意味です。まさに現代の世相を象徴している言葉です。

―ひとくち法話No70より―