生活の中のことば

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生活の中のことば 21~30話

第21話 彼岸(ひがん)

 仏教の言葉です。迷いの世(この世)を此岸(しがん)というのに対して、ほとけの国を彼岸(向う岸)といいます。春分の日、秋分の日を中日として、その前後の7日間です。この時期は、日が真東から出て、真西に沈むので、日没の所を観じて、極楽浄土を想い、そこに生まれることを念じたことに由来しています。真宗ではこの時期の法会を讃佛会(さんぶつえ)といっています。

―ひとくち法話No21より―

第22話 檀那(だんな)

 男子に対する尊称の言葉で、一般には、その家のあるじのことで「檀那さん」と使います。
 「檀」には、ほどこす、施主という意味があるので、教団では、財物を布施する信者を「檀家」といい、檀家は自分の菩提寺を「檀那寺」と呼んでいます。

―ひとくち法話No22より―

第23話 煩悩(ぼんのう)

 わずらわしい(煩)なやみ(悩)の原因となる心のすべてを煩悩といいます。むさぼり、いかり、おろかさ、うぬぼれ、うたがい、へりくつなどが代表的です。
 真宗では、私の心のすべてが煩悩だから、自分の努力、精進、祈願では仏になれないと教えられています。

―ひとくち法話No23より―

第24話 三昧(さんまい)

 仏教で、精神を集中して、雑念を捨てることをいいます。念仏ひとつのことを「念仏三昧」、一心に読書することを「読書三昧」などと使います。
 また、地方によってはお墓のことを「三昧(場)」といいます。お墓参りの心のありようを三昧であれということでしょう。

―ひとくち法話No24より―

第25話 達者(たっしゃ)

 健康な人、元気な老人を「達者」という。「足が達者」はよいが、「口が達者」は、自己主張の強い人のことをいうので用心。
 「達者」はもともと、禅宗などで、修行で仏法の道理を体得した人をいいます。その道の道理を極めた人のことなのです。

―ひとくち法話No25より―

第26話 上品(じょうぼん)

 お経では「ごくすぐれた」「最上」という意味で、『じょうぼん』と読みます。〔反対語は下品(げぼん)〕
 世間では、人柄、様子などに、いやらしさのない様を上品(じょうひん)といいます。おもに表面的な姿や仕草の上からいうのに対して、お経では「ほとけになる人々の心の優劣」を「上品」「下品」と表現しているのです。

―ひとくち法話No26より―

第27話 功徳(くどく)

 「功徳を積む」というふうに言えば、他人様に喜んでもらえるたねまきをすれば、自分にご利益があるという自力修行の考えをさします。しかし、真宗で言う「功徳」は阿弥陀如来のお働きであって、わたしたち凡夫のおこないから生まれるものではないと教えられています。

―ひとくち法話No27より―

第28話 非時(ひじ)

 仏教の戒律に「昼過ぎから翌朝までは食事をしない」とあり、この時間を「非時」と言っています。
 会葬者に出す食事のことを「お非時」と使いますが、これは「非時食(ひじじき)」の意味で、食事時間以外の食事だからです。

―ひとくち法話No28より―

第29話 邪魔(じゃま)

 一般には、厄介者(やっかいもの)を邪魔なやつといったり、相手の都合を妨げたという意味で「お邪魔しました」と使います。仏教では、修行の妨げをする悪魔のことをいいます。

―ひとくち法話No29より―

第30話 声明(しょうみょう)

 仏教儀式の際に、ほとけの徳を讃えて僧侶が、節をつけて唱えるものを「声明(しょうみょう」)といいます。一般には「せいめい」と読みます。自分の立場や考えを公にすることです。同じ熟語ですが、違った意味で使われています。

―ひとくち法話No30より―