生活の中のことば

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生活の中のことば151~160話

第151話 善根(ぜんごん)

 善を木の根にたとえていう。よい果報をもたらす善い行いのこと。「善根功徳(ぜんごんくどく)」という言葉があります。真宗の善根は、お念仏です。

―ひとくち法話No151より―

第152話 成道(じょうどう)

 成仏得道(じょうぶつとくどう)の略で、さとりを開くこと。お釈迦(しゃか)さまが、35歳の12月8日に、菩提樹(ぼだいじゅ)の下でさとりを開かれたので、この日を記念にしてお祝いをする法会を成道会(じょうどうえ)といいます。

―ひとくち法話No152より―

第153話 如実(にょじつ)

 仏教では、真実(ほんとうのこと)を如実といいます。一般では「実力が如実にあらわれた」「戦争の悲惨さを如実に物語る写真」などと使われています。

―ひとくち法話No153より―

第154話 発起(ほっき)

 その企てを起こすこと。仏教では、信心のこころの起こること。親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、和讃の中の語を説明されて「発(ほつ)は、ひらきおこす。昔よりありしことをおこすを発という。起(き)は、たちおこす。今初めておこすを起という」とのべられています。

―ひとくち法話No154より―

第155話 済度(さいど)

 ほとけが、生死(しょうじ)の苦海に久しく沈めるわれらをたすけ〔済(さい)〕、彼岸の浄土へわたす〔度(ど)〕こと。転じて、苦しみや困難から救う意味で使われています。

―ひとくち法話No155より―

第156話 安養(あんにょう)

 こころを安らかにし、身を養うという意味で、阿弥陀仏のお浄土の別名です。「安養界(あんにょうかい)」、「安養国(あんにょうこく)」、「安養浄土(あんにょうじょうど)」などと使われています。

―ひとくち法話No156より―

第157話 報謝(ほうしゃ)

 恩に報(むく)い、徳を謝(しゃ)すこと。
 親鸞聖人(しんらんしょにん)は「仏恩(ぶっとん)の深いことを知り、報謝のために、ただ御名(みな)を称えるばかりです」とのべられました。
 地方によっては、法事をつとめることを「報謝をもらう」という所があると聞きました。大事にしたい念仏者の言葉であります。

―ひとくち法話No157より―

第158話 五濁(ごじょく)

 悪世(あくせ)における五種のけがれ。劫濁(こうじょく)〔時代の濁(にご)り〕、見濁(けんじょく)(思想のみだれ)、煩悩濁(ぼんのうじょく)(こころの悪化)、衆生濁(しゅじょうじょく)(社会のよごれ)、命濁(みょうじょく)(いのちの尊さを忘れる)の五種です。『仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)』に出ています。この悪世とは、現代の今日のことです。この教えをきいて、私自身が、まさにその通りですと受けとることができるかどうかが問題であります。

―ひとくち法話No158より―

第159話 往相(おうそう)

 私たちが、浄土に往生するすがたを往相といいます。真宗は、すべて阿弥陀仏のおみちびきである他力廻向(たりきえこう)の教えです。なかでも往相は、その代表的なはたらきなので、一般的には往相廻向(おうそうえこう)という熟語で使われています。

―ひとくち法話No159より―

第160話 萬行(まんぎょう)

 真宗の行は、お念仏を申すことです。萬行は、このお念仏以外の諸行・諸善をいいます。例えば坐禅(ざぜん)、行脚(あんぎゃ)、荒行(あらぎょう)などです。和讃(わさん)に「萬善諸行(まんぜんしょぎょう)を修(しゅ)せしかど」などと用いられています。

―ひとくち法話No160より―