親鸞聖人のご生涯をとおして

修業者だけでなく、誰でもが救われる道はないものかと苦しみ悩まれた「範宴(得度時の親鸞聖人の名)」さんは遂に比叡の山を下り、京都の六角堂に籠もられました。
六角堂は慈悲の象徴である観音さまをまつってあるお寺で、その化身である聖徳太子が建てたといわれています。ここで100日間、日夜命をかけて、ただひたすらに誰でもが救われる道を求め続けたのでした。ところが100日間の参籠(さんろう)の終わり頃の95日目に、疲れ果ててうとうとと意識のもうろうとしていたときに、枕元に不思議なことに観音さまが聖徳太子となって現れたのです。
聖徳太子は「あなたの悩むことはよくわかるぞ、その道を解決するには、ここから東の方、数里のところ、東山のふもとの吉水に『法然(ほうねん)』という人がいる。そこに赴いてその法を聞け」という夢のお告げがあり、さっと姿を消されたのでした。
「範宴」さんはその足でそのまま、五条の大橋を渡り吉水に馳せ参じられました。これで完全に比叡のお山と決別しました。それ以後はひたすらに「法然」さまの所に通い続けられたようです。
修業者だけでなく百姓も町人も武士も商人も含めて、あらゆる人のたすかる浄土の教えに、やっと会うことができたのでした。得度以来約20年間のご苦労もようやく実を結び、「法然」さまから「綽空(しゃっくう)」という名も頂き、更なる浄土の教えの研鑚に努められたのです。