親鸞聖人のご生涯をとおして

 親鸞聖人の関東での生活は、草庵のある常陸(ひたち)国を中心にして各地に出かけ、念仏の教えを広めるのが日課でした。
この地方には昔から、修行によって呪術を学び、加持祈祷(かじきとう)をする修験道が盛んでした。板敷山(いたじきやま)には、その山伏たちが修行する護摩壇までもありました。修験道は、祈りによって病気や災難、不幸を除き、欲望を満たそうとする教えです。しかし聖人の説く念仏は、修験道とは相容れない仏の教えですから、聖人の熱心な布教によって加持祈祷をたのむ人が減っていくので、山伏達はにがにがしく思っていました。
聖人49歳の秋のことです。山伏弁円は、聖人をこらしめようと板敷山で待ち伏せしましたが、すれ違いばかりで出会えず、ついに聖人の草庵まで乗り込んできました。そして、大声で「親鸞おるか!出てこい」と怒鳴りました。
このただならぬ声を聞いて玄関に出られた聖人は、何の気構える様子もなく、静かな態度で応対されました。この聖人の和顔に接した弁円は、今の今まで持っていた聖人への敵意や害心がいっぺんに消えてしまい、とたんに庭上に座して、聖人のおん前にひれふしてしまったというのです。これが有名な板敷山弁円のお話です。
弁円は、お念仏に生きる聖人こそ生身の仏さまであるとあがめ、刀杖を捨て改悔涕泣して弟子となりました。のちには明法房という僧名まで賜って、生涯聖人のお膝元で聞法にはげまれることになったのです。