親鸞聖人のご生涯をとおして

比叡山での血のにじむ修行と研鑚を続けられた親鸞聖人は、はや19歳になられました。その間、この身このままで仏になるには、濁りのない清らかな心、鏡のように澄み切った動かない心にならねば、悟りの境地には入れないと、法華経の教えを信じて行を重ね、学問にも心血を注がれましたが、どうしても清らかな心になれず、また、心を静めることもできませんでした。
聖人は、この上は「日本に仏教を広められた、観音の化身と仰がれている聖徳太子に、この悩みを聞いていただこう」と考えられ、魂の解決を求めて、河内国、磯長の叡福寺にある聖徳太子のお墓に詣でられました。そして御廟(ごびょう)の前に座り、一心不乱に今までの苦悩や、迷いの解決の道を聖徳太子に念じられたのです。
二日目の深夜でした。つい、うとうとと、まどろんだ聖人は恐ろしい夢をご覧になりました。
「わが弥陀と観音、勢至は、この塵にまみれた濁りの世を救うために懸命になっていられる。この日本は真実の宗教が栄える土地である。よく聞け、私の教えを。お前の命はあと十年余りである。そのいのち終われば、お前は速やかに浄らかな土へ入るであろう。だからお前は、今こそ菩薩を深く心から信じなければならぬ」と。
感受性高く、自己に厳しい聖人は、この聖徳太子のお告げをどんな思いで受けられたでしょうか。突然、自己の死との対決を迫られた、この夢告は以後の聖人の求道に決定的な影響を与えたと言えます。