親鸞聖人のご生涯をとおして

関東を後にした親鸞聖人は、箱根路を通り、各地でお念仏の教えをひろめながら、文暦2年(1235年)三河(愛知県)に入られ矢作川河畔にある太子堂に逗留されました。
この流域に住む民びとは各地に太子堂をつくり、太子信仰の盛んな地域でもありました。聖人はそんな太子堂の一つで、岡崎の妙源寺に17日間も留まって説法されました。
柳堂に腰をおろされた親鸞聖人は、「弥陀の本願はあらゆる凡夫を救わんがためです」と阿弥陀如来の本願をじゅんじゅんと説かれました。近隣の人々は聖人の念仏教義の深さに敬服して、真宗に帰依していきました。
当時、この太子堂の前に柳の大木があったので、里人は「柳堂」と呼び親しんでいました。国宝として現在も参詣人の絶えることはありません。この三河一帯は、後に高田の顕智上人(三世)、専信上人等が精力的に念仏布教をされた所で、次第に念仏の輪が広がっていったのであります。
ここ三河は、関東と関西を結ぶ中間的存在で、高田派寺院の最古の道場として、親鸞聖人の歩まれた貴重な足跡が残っていることに注目したいものです。
三河を発たれた聖人は、やがて近江(滋賀県)に入られ木部に錦織寺を建立され京都に向かわれたのでした。