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平成28年 一光三尊佛御開扉の模様

一光三尊佛について

〇一光三尊佛の由来

 一光三尊佛というのは、一つの光背に中尊として阿弥陀如来像が、その脇侍仏として向かって右に観音菩薩像と左に勢至菩薩像がお立ちなので一光三尊と申し上げています。
 聖人は毎日この尊像を礼拝され、念仏弘法に精進せられました。今日においては、聖人直拝の御本尊は、この一光三尊佛のみであります。
 いつのころからか秘仏とされてきましたが、寛永15年(1638)第14世尭秀上人が本寺専修寺で初めて御開扉されました。その後享保14年(1729)第17世円猷上人が本山専修寺に初めてお迎えし御開扉を行いました。以後17年ごとに本山専修寺にて御開扉が続けられています。
 昔から「世直しの如来」とも呼ばれ、当派ではこの一光三尊佛を仏教伝来まで遡り語ることの出来る唯一の“み仏”として位置づけています。
 平成26年4月、この尊像を津市一身田の本山専修寺にお迎えし、17年に一度の御開扉が行われました。

〇親鸞聖人と専修寺

 親鸞聖人は関東各地を御教化中の嘉禄元年(1225)栃木県芳賀郡二宮町高田の地に一宇を建立し、専修念仏の道場とせられました。御本尊は、夢のお告げによって長野県の善光寺からお迎えしたと伝えられる一光三尊佛であります。
 親鸞聖人は、その後京都へ帰られましたが、真佛上人、顕智上人を始めとする門弟が、ここを中心に教団を発展させ、「高田門徒」と呼ばれるようになりました。
 また、「専修念仏」  専ら念仏を修するとの意味から、寺号を「専修寺」と称することになりました。津市一身田の専修寺は、東海、北陸方面に教化を広められた第10世真慧上人が、伊勢地方の中心寺院として建てられたのでしたが、栃木県の専修寺が兵火によって焼失したため、一身田が本山となりました。
 これに伴って、国宝の三帖和讃をはじめ自筆消息など親鸞聖人の御真筆類も、一身田の専修寺に移され、今も大切に伝持されています。このことは、本山専修寺が真宗の正当を示すものとして教団の誇りとなっています。(ポスター裏面より転載)

平成28年3月28日

特別講演 高田派鑑学 栗原 廣海 師
講題:不可思議光

セントラル愛知交響楽団アンサンブル演奏会

平成28年3月29日

特別講演 東方学院講師 黒川 文子 先生
講題:仏典のことば~お釈迦さまから親鸞聖人へ~

落語会 笑福亭仁智師匠

平成28年3月30日

特別講演 佐藤第二病院院長 田畑 正久 先生
講題:今を輝いて生きるために

通り参拝(お別れ参拝)

御閉扉勤行

平成28年3月31日 一光三尊佛お見送り

一光三尊佛は3年間のご滞在を終え、栃木県真岡市高田 本寺専修寺へ御帰山されました。

第2回フォトコンテスト作品展示

入賞作品:御対面所にて展示

応募作品:御影堂~御対面所間の廊下にて展示

生花展

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