全長31,86m 幅6,79m 唐破風造 本瓦葺
御影堂と如来堂を結ぶ通天とよばれる橋です。両御堂の縁側にかかっているため高床とし、板張りで、柱間はすべて吹抜けになっています。柱の外側に床と同じ高さの縁側をとりつけ、その端に高欄を置いている。床下は柱に三手先の挿肘木を挿し込んで、この縁側を受けている。屋根はいわゆる「照り起(むく)り」で、両端に唐破風をつける。天上のあたりには細部に彫物を多用し、同一部材でも彫物の図柄や形に変化を持たせ、建物の単調さを防ごうとする工夫が凝らされている。
如来堂の昭和大修理を実施するにあたり、全面的に解体して、修理完成後に復旧するという工事が行われたが、その際天井裏から棟札が発見された。それによると、寛政12年(1800)11月6日の上棟で、棟梁はそのころ名匠として知られていた名古屋の伊藤平左衛門吉俊であった。『高田史料』(松山忍明著)によると、享和2年(1802)に渡り初めが行われたという。高田本山の法義と歴史より